2014年5月3日土曜日

大分県豊後高田市「呉崎」 語源と同じように日が暮れてゆく

国東半島の北側から眺める夕日は、中津の八面山に落ちてゆきます。今日の夕日はみごとなほど真っ赤でした。仕事終わりに、ちょっと夕日を撮りに、大分県豊後高田市呉崎の海辺へ出かけてみました。
大分県国東半島の外周をまわる道路は国道213号線。豊後高田市呉崎の国道213号線あたりは、1800年頃以前はすべて海辺だったといいます。この海辺あたりからみる夕日はいつも西の海の先(崎)に赤く沈み、やがて周囲が暮れてゆく。このことから西の海の方向を暮崎と呼んでいたそうです(西国東郡史)。この「暮崎」という字が塩谷大四朗に転じられ「呉崎」となりました。
いまでは立派な麦畑のこのあたり。昔はすべて海だったんですね。

下の写真は広瀬川。向こう側に見える家々のある場所。あのあたりも海でした。干拓の汐留めという技術を使って陸地にして、さらに土地から塩を抜いていったのだそうですょ。その干拓のとっかかりを行なったのが、塩谷大四郎。
塩谷大四郎の銅像が、国道213号線沿いにある産土社(うぶずなしゃ)という神社にあります。高い位置にあるので、国道からもみることができます。

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