2011年10月25日火曜日

田染荘(たしぶのしょう) 朝日・夕日観音 穴井戸観音(あないどかんのん)

撮影場所 大分県豊後高田市田染真中

以前に田染荘(たしぶのしょう)にある朝日・夕日観音は紹介しましたが、再訪しましたのでアップします。今回は穴井戸観音も紹介します。
穴井戸観音
田染荘(たしぶのしょう)は大分県豊後高田市にあり、山に囲まれた小盆地です。古代の田染郷(たしぶごう)が、平安時代後期以前に宇佐八幡宮の重要な荘園になり、田染荘が成立したそうです。
田染荘 小崎地区(おさきちく)
昔からある荘園の形がそのまま残っています
田染(たしぶ)の「染」とは金気(かねけ)、つまり鉄分のことだそうで、このあたり一帯は鉄分が多く含まれている赤土ということです。そのために、この地区でとれる米はおいしいといいます。

写真右上の岩屋に夕日観音があります
残念ながら、この地区にいった時期は上の写真のように稲はほとんど収穫されていました。小崎(おさき)地区にはこのような奇峰がそそり立っています。田染の三耶馬のひとつ、間戸耶馬(まどやば)といわれています。

まずはこの間戸耶馬(まどやば)に祀られている朝日夕日観音をめざします。
 朝日・夕日観音への道には、しっかりと案内板がでています。

入り口に柵がありますが、地元のひとからは「開けて入ってもいいよ」とのことでした

分かれ道
どちらに行っても朝日・夕日観音にはいけますが右は比較的険しい道のりになります。

夕日観音が祀られている間戸耶馬(まどやば)
道中、小崎の集落を見おろす
正面の山が西叡山(さいえいざん)
上の写真の西叡山(さいえいざん)は、西の比叡山(ひえいざん)ともよばれています。
2つめの分かれ道
峰をへだてて、東側に朝日観音、西側に夕日観音があります。まずは夕日観音の方へいきます。
朝日夕日観音ともに上の写真のような崖を歩いていかなければなりませんが、鎖でつくられた手すりがあるので恐怖感はありません。


一方、下の写真は朝日観音が祀られている朝日岩屋です。


朝日観音は木像のため、だいぶ削られてしまっています
朝日・夕日観音のある岩屋を下りてゆくと、途中下の写真のような案内がでています。間戸園地の方向に穴井戸観音があるため、そちらへすすみます。



左の農道奥に穴井戸観音があります

この建物の裏側に穴井戸があります。穴井戸は奥行き約30m、幅約20m、高さ約15mあるそうです(案内看板より)。
洞窟(穴井戸)に入ると観音群が祀られています。外界の音はほとんど届かず、水のしたたる音だけが響いています。
穴井戸の一番奥に、下の写真のような観音様が祀られています。穴井戸観音は別名「濡れ観音」とも呼ばれ干ばつの際、外にだし祈祷すると雨を降らせてくれる水の神とされています。
穴井戸観音
いちばん奥から洞窟内を見渡す

帰り道、菊家(豊後高田店)で買った団子。奥から…さつま芋、紫芋、栗でできたあんこがかかっています。

2011年10月20日木曜日

西椎屋の滝(にししいやのたき)


落差83m。日本の滝百選に選ばれていると同時に、東椎屋の滝、福貴野の滝とともに「宇佐の三滝」と言われています。

付近には上の写真のような日出生ダム(ひじゅうだむ)があり、このダムを通り過ぎて200mほど進むと駐車場が見えてきます。おみやげ屋さんがあったようですが、今は営業していませんでした。平日の昼間だと訪れる人はほとんどいないようです。

建物よこから展望所につづく遊歩道(階段)がのびています。地元の方に聞くと、約450段だそうです。
駐車場から50mほど進むと、一つ目の展望所がみえてきます。この展望所は滝壺からかなり離れていますが、滝の音はここでも響いています。
ひとつ目の展望所からみた西椎屋の滝
さらに下へと階段は続きます。




ふたつ目の展望所
ふたつ目の展望所では滝壺からの水しぶきが届きます。水気を含んだ風がひんやりと気持ちがいいです。
真近からみる滝は大きく、カメラに収まりきれません。


展望所の右側に、さらに下へ降りる道があります。

さらに滝壺へ降りる道
滝壺付近からみあげた景観
下へ行くほど道は岩肌がでており、すべりやすくなっています。あまりにもすべるので一番下までは恐くていけませんでした。

足をすべらせバランスを崩すと下まで落ちていきそうです

降りるときよりも、登るときのほうが恐い岩肌。帰るときは岩にへばりつくように登っていきました。
滝壺までは上の写真のような岩場をおりていかなければなりません。しかし、ある程度降りると下の写真のような景観をみることができます。

滝壺付近からの景観

2011年10月17日月曜日

旧千燈寺跡(きゅうせんとうじあと)


千燈寺跡、またこの寺に属していた周辺の坊跡・岩屋跡や奥の院は、一括して県史跡に指定されています。
護摩堂跡前にある石造仁王像



千燈寺跡の山門にいくまでに、上の写真のような石塔群があります。その中に「西行戻し宝篋印塔」があります。西行戻し・・・の名の由来が案内看板にありました。
真言僧の西行が千燈寺住職の器量をみようと登ってここまできたとき、寺の小僧に会ったそうです。この小僧の問答が立派なものであったため、「これほどの小僧であれば、住職の器量はみなくてもわかる」と、西行はここで引き返したそうです。それで「西行戻し」という名がついたそうです。



石塔群脇を通り5分ほど歩くと、鳥居が見えてきました。

鳥居をくぐると道はこのような石畳となります。

西の坊跡を通り過ぎると、護摩堂跡に着きます。護摩堂跡前には下のようなレリーフ状の石造仁王像があります。

阿形 像高160cm

吽形 像高165cm
これらの仁王像は県文化財に指定されています。
奥の院に続く石段
岸壁に埋め込まれるように建てられている奥の院
モミジが色づくのはまだ先のようです
奥の院内には多数の石仏が安置されています。