2011年9月15日木曜日

八面山の夕暮れ

青、橙、藍のコントラストがとてもきれいな八面山方面の夕焼けでした。
撮影場所 大分県宇佐市吉松
撮影時間 9月15日 18:30


2011年9月11日日曜日

八面山 登山

撮影場所 八面山【はちめんざん】(大分県中津市)

「八面山山頂遊歩道」にある第2展望台から撮影しました。この日は9月9日で夏の暑さもゆるくなってきていました。さらに曇りということもあり快適な登山ができました。
第2展望地より撮影
八面山は山頂付近まで車で行くことができます。登山道入り口付近に5~6台ほど停められる駐車スペースがあります。
駐車場よりみあげる電波塔
登山道入り口には駐車場から山頂まで700mの看板がでています。山頂までは下の写真のような遊歩道がつづいています。とても歩きやすく、スニーカーでも不便なく行けます。

途中このような電波塔の下も通ります
途中、第2展望地があります。左側に岩肌がみえますがここから景色を眺めます。
展望地のすぐ先は断崖絶壁。耶馬渓(やばけい)が一望できます。山がつらなり、曇りであったこの日は山水画のような風景でした。

山頂にも耶馬渓方面を一望できる展望地があり、第2展望地と同様の景色が楽しめます。
八面山山頂にある標識。標高659m。
山頂へ到る道とは別に、NHKやOBSの電波塔が隣立されている「八面山園地」という場所があります。(地図)ここからは中津や宇佐、周防灘が一望できます。
八面山園地からの眺め

八面山園地



2011年9月6日火曜日

真玉海岸の夕日

撮影場所 粟嶋神社
粟嶋神社は国道213号線沿いにあり、縁結びの神社としても知られています。神社の近くの粟嶋公園には木造の展望台があります。公園にはソメイヨシノ約300本が植えられ、春には桜祭りも行なわれます。


展望台より撮影。





2011年9月3日土曜日

金高墓地(かねたかぼち)

場所 大分県豊後高田市田染平野3335

桂川本流から分岐した大曲川。この川がつくりだした谷に大曲の村はあります。大曲の村は過疎化がいちじるしいようで、民家が数件あるのみでした。この大曲村に金高墓地はあります。
高金墓地にいくには、このような細い道をいかなければなりません。車一台がやっと通れるほどで、途中Uターンするような場所もないので、歩いて行くのが無難でしょう。真木大堂の駐車場から歩けば30分ほどで着きます。
道中ふりかえると谷間に田染(たしぶ)の村がみえます。この段階ではこの先、本当に目指す「金高墓地」があるのか、不安を持ちながら歩いていました。
途中、民家2件を通り過ぎました。2件目の民家を通り過ぎると見えてきました。


どっしりとし、存在感のある国東塔(くにさきとう)です。高さ2.3m、永和元年(1375)の銘文があります。
国東塔
国東塔の傍には五輪塔があります。

『中世の村を歩く』(朝日選書)石井進著によると「五輪塔の銘文では、応永27年(1420)と文明11年(1479)にそれぞれ『当庵(とうあん)』の先の住持の師崇禅師と徳林智公禅師のために建てられたことがわかる。国東塔も五輪塔も多分、この禅宗の寺庵のために建立されたものに違いない」とあります。
国東塔そばにある五輪塔
同書には、金高墓地のすぐ近くに小さな薬師堂があり、ここに薬師如来木像が祀られているとあります。残念ながら薬師堂とはっきり確認できる建物は見つけられませんでした。
国東塔そばにある石仏
『中世の村を歩く』(朝日選書)では大曲の村がいつごろできたのか、これら国東塔の銘文や古文書から推察をしています。それによると14世紀後半(1350以降)には村の原型がだんだんと出来あがっていったのではないかとされています。

今から600年以上も前にこの地に人が住み始めていたのですね。

奈多八幡宮(なたはちまんぐう)

場所 大分県杵築市大字奈多229

奈多八幡宮は奈多宮(なたぐう)とも呼ばれ、宇佐八幡宮の別宮です。
木造僧形八幡神坐像【もくぞうそうぎょうはちまんしんざぞう】(1軀)と木造女神坐像【もくぞうにょしんざぞう】(2軀)が保存されています。これらは、国の重要文化財に指定されています。

この宮は奈多海岸に面しており、約300mの沖合には、厳島(いつくしま)または市杵島(いちきしま)と呼ばれる離れ岩があります。この岩は「市杵姫命(いちきしまひめ)」が漂着したと伝えられ、奈多八幡宮の元宮です。小さな鳥居が設置されています。
近くに大分空港があるために、飛行機が低く飛んでいるのがときおり見られます。
伊予灘に面する海岸はこのような松林が南北約2km続いています。松は主にクロマツで、農作物を砂の害から守るために植えられたそうです。日本の白砂青松100選に選定されています。



奈多海岸にいったときは8月の下旬で暑い日でしたが、海水浴をする人はひとりもおらず、閑散としていました。たまたま夏休み期間中最後の出校日だったからかもしれません。境内も同様に人とすれ違うことはありませんでした。wikiを読んでみると以前は訪れる人が多く、にぎわっていたとのことです。

「奈多八幡宮付近は昭和の中ごろまでは桜や藤の名所として有名であり、花見客が非常に多かった。出店や花見踊りなど大変賑わったが、桜はすべて枯れてしまい、伐採されてしまった。現在では藤棚の一部が残るだけであり、往時の面影はない。」(wiki 奈多海岸)

 手水場(ちょうずば)近くの灯篭を撮影。
三の台輪鳥居と手水場(ちょうずば)を撮影。


境内には黄色い花が咲いていました。花びら(舌状花?)は8枚、コスモスでしょうか。
奈多宮には前記の神像のほかに、応永年間(1394~1428)に書写された「八幡宇佐宮御託宣集(はちまんうさぐうおたくせんしゅう)」をはじめ、宇佐神宮に関する多くの文化財が収蔵されています。

閑散として寂しい感じもしますが、白い砂浜に映える松林と海にうかぶ厳島が印象的な神社でした。

福貴野の滝(ふきののたき)

福貴野の滝は別名「竜泉寺の滝」、「裏見の滝」とも呼ばれ、落差63m。東椎屋、西椎屋の滝とともに「宇佐の三滝」のひとつです。名前のとおり、滝の裏にまわることもできるそうです。

場所 大分県宇佐市安心院町福貴野


駐車場は広く、無料です。トイレもあります。
駐車場から展望台までは、歩いて10分弱ほどで行くことができます。
 道路は舗装され、ところどころに看板もあり迷うことはなさそうです。
 道中モミジもあり、秋には紅葉で色づきそうです。



 途中にある竜泉寺跡では案山子や看板が出迎えてくれます。



 階段を下りてゆき、展望台へと向かいます。
展望台が見えてきます。このときは8月の初旬。時刻は夕方の6時ちょっとすぎで、周囲はヒグラシの声でいっぱいです。

展望台のすぐしたは広場になっています

















渡辺重春(わたなべしげはる)の句碑が展望所の下にあります。
「水上の水は水とも見えながら 落つるは雲と烟なりけり」

渡辺重春(1831~1890)は国学者。中津藩が江戸時代に設立した藩校である進脩館(しんしゅうかん)に明治4(1871)年、教授として就任した。明治23(1890)年5月9日死去。


滝壺近くになると、後ろの岩壁の色がちがっていますが、ここのあたりの岩は成層集塊岩(せいそうしゅうかいがん)だそうです。また、上部は新耶馬溶岩(しんやばようがん)ということです。つまり、「火山の噴出物が溜まっている上に、溶岩が流れ込んできた」ということのようです。
滝壺までは行きませんでしたが、「滝壺は朝日が差し込む位置にあり、朝には日光が滝壺に落ちた水の飛沫に反射して、無数の小さな虹が次々に現れる幻想的な景観を呈する」のだそうです。