当社の祭神は少名彦那命といわれ大国主神と力を合わせ、出雲の国を納めた神で紀州の加太神社に祀られていました。寛永二年(1625)八月十五日、加太神社から勧請したのがこの粟島社であります。
医薬の神様とも言われており、また女性の守り神として広く人々に親しまれ、とくに婦女子の信頼があつく、詣でる人が多い。又、縁結び、婦人病や、安産等女性の幸せを祈願する一願成就の神様として信仰されています。
一説によれば、この地が邪馬台国のロマンを秘めた聖地とも言われています。
平成五年三月吉日
氏子中
全国各地に粟嶋神社という名の神社が点在しているそうです。伝説では、婦人病を患った住吉大神の妻が海に流され着いた先が「加太の浦の粟嶋」で、ここで自分と同じような病気に悩む女性達の救済に力を尽くしたそうです。この「加太の浦の粟嶋」で行なわれていた行儀のひとつに、病気を人形(ひとがた)に託して海に流すものがあったそうです。ここから各地の磯辺に粟嶋神社が勧請されていったとのことです。
だんだん、菜の花や梅が咲き始めています。梅の花にはウグイスが蜜を吸いにやってきていました。
これは粟嶋神社から撮った夕暮れの海岸で・・・
こちらが展望台から撮った夕日です。方角からすると、向こう側に見えるのは山口県です。
0 件のコメント:
コメントを投稿