2011年9月3日土曜日

金高墓地(かねたかぼち)

場所 大分県豊後高田市田染平野3335

桂川本流から分岐した大曲川。この川がつくりだした谷に大曲の村はあります。大曲の村は過疎化がいちじるしいようで、民家が数件あるのみでした。この大曲村に金高墓地はあります。
高金墓地にいくには、このような細い道をいかなければなりません。車一台がやっと通れるほどで、途中Uターンするような場所もないので、歩いて行くのが無難でしょう。真木大堂の駐車場から歩けば30分ほどで着きます。
道中ふりかえると谷間に田染(たしぶ)の村がみえます。この段階ではこの先、本当に目指す「金高墓地」があるのか、不安を持ちながら歩いていました。
途中、民家2件を通り過ぎました。2件目の民家を通り過ぎると見えてきました。


どっしりとし、存在感のある国東塔(くにさきとう)です。高さ2.3m、永和元年(1375)の銘文があります。
国東塔
国東塔の傍には五輪塔があります。

『中世の村を歩く』(朝日選書)石井進著によると「五輪塔の銘文では、応永27年(1420)と文明11年(1479)にそれぞれ『当庵(とうあん)』の先の住持の師崇禅師と徳林智公禅師のために建てられたことがわかる。国東塔も五輪塔も多分、この禅宗の寺庵のために建立されたものに違いない」とあります。
国東塔そばにある五輪塔
同書には、金高墓地のすぐ近くに小さな薬師堂があり、ここに薬師如来木像が祀られているとあります。残念ながら薬師堂とはっきり確認できる建物は見つけられませんでした。
国東塔そばにある石仏
『中世の村を歩く』(朝日選書)では大曲の村がいつごろできたのか、これら国東塔の銘文や古文書から推察をしています。それによると14世紀後半(1350以降)には村の原型がだんだんと出来あがっていったのではないかとされています。

今から600年以上も前にこの地に人が住み始めていたのですね。

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